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エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

福和 伸夫氏インタビュー
災害への対応力をどう付けていくか
 

巨大地震への懸念はもとより、大型台風による浸水や停電も心配な現代において、どのような防災対策が有効なのでしょうか? 産官学民の連携を図りながら防災・減災研究に取り組み、減災社会の実現を提言する福和伸夫氏(名古屋大学教授・減災連携研究センター長)に「減災館」を案内していただいた後、神津カンナ氏(ETT代表)がお話を伺いました。

研究・対応・備えの拠点「減災館」でリアルに体感

名古屋大学東山キャンパス内にある「減災館」は、2014年に免震構造建物として完成しました。①自然災害や防災・減災に関する「先端的研究施設」、②備えを促す「防災啓発・人材育成施設」、③災害時に地域を守る「災害対応施設」の3つの役割を担っています。特に教育に力を入れ、セミナーやワークショップ、体感・体験ができる市民に開かれた場として、年間約15,000人が訪れています。建物の外では、通りからガラス越しにオイルダンパーなど地下の免震装置が見学できるようになっていました。建物自体、地震で90cm動いてもぶつからないよう設計したそうです。中に入り、1階の「減災ギャラリー(展示スペース)」を見学しました。子どもから大人まで、防災の基礎を見て触れて学べるゾーンです。入った所にある「3Dビジュアライズ」は、東海地域の地形模型に、活断層が盛り上がる様子などのハザード情報を融合させた大がかりで目を引く展示物です。「振動再現装置BiCURI」では振動台と映像を連動させ、高層建物の中で巨大地震に遭遇した時の揺れが再現され、「震度7ってこんなに揺れるの!?」とリアルに感じられました。名古屋市と周辺市町村を空から見た写真を床いっぱいに広げた「床面空中写真」に、伊勢湾台風で水没したエリアなどを天井からプロジェクタで投影することにより、場所によって災害の程度が違ってくることが確認できました。ほかにも、壁が少なかったり屋根が重かったりすると地震の揺れで簡単に崩れることが体感できる家の模型や、津波の基礎、液状化の原理など、福和氏自らが考案して手づくりしたという多種多様な耐震実験教材が展示されていました。また、2階の「減災ライブラリー」には地震災害に関する歴史資料などが充実しています。パソコンで東海地域の住所を打ち込むと、今と昔の地図を比較して地形や土地利用の変遷を調べることができる「今昔マップシステム」では、昔は川だった所なども一目でわかり、「全国展開してほしい」「東京の家も調べてみたい」などという声が聞かれました。

 「安全」に価値観を置いていない現代人

神津 「減災館」を訪れて、各地にこのような施設が必要だとしみじみ思いました。

福和 そうなのですが、行政の支援が少ないのです。防災は守りのもの、後ろ向きの政策と思われているからでしょうか。東京・名古屋・大阪の三大都市圏は、政治家は防災より華やかなことをアピールしたほうが選挙に勝てるのですね。貧しい県ほど防災をやると国が援助してくれるのでしっかりやっています。

神津 これだけ国内各地に自然災害が多くなっているのにそんな状況なのですか。

福和 都会の人は自然災害の怖さを知らないからです。

神津 知るという意味では、昔の人は震災があるたびにいろいろ書き残してくれていますね。

福和 それは大事なことです。宮城県の多賀城は869年に貞観(じょうがん)地震に遭ったのですが、その時の和歌が百人一首の「すゑの松山 波こさじとは」。同じように末の松山は、東日本大震災の津波でも波を越していません。当時の人たちは大きな災害についてきちんとメッセージを残してくれているのです。しかし、現代人は聞く耳を持っていません。

神津 なるほど。ところで昨年、台風19号による大雨で武蔵小杉のタワーマンションが被害を受けました。私の感覚では武蔵小杉は昔、工場街だったと思いますが、そういうところも、今は立派な住宅地になっているんですよね。

福和 川に近く低い土地なども開発して価値を増やし、土地の価格を上げさせて不動産会社が儲け、そのお金で金融が回るというのが東京のビジネスモデルなのです。最初からいた住人は安全な所に住んでいますが、後で地方から来た人は過去の災害を知らないし、新たに開発した所には過去の教訓も無いのです。あと、昔は蒸気機関車で忌み嫌われる乗り物だったので、鉄道が通っている所は谷底など、人が使わない危険な場所でした。昔の東京郊外のドラマを観ると、丘の上の住宅地から坂道を下って駅へ向かっています。今は皆それを忘れてしまって、駅前は便利な所だと思っています。

神津 日本は狭くて山が多いので、どうしても住める所が限られてしまいますが、先生から見て都市部というのはなかなか厄介な所なのでしょうか?

福和 都市部は特に厄介です。名古屋市だと昔は熱田台地の上にしか都市部は無かった。それしか人数がいなかったからです。そこに人が増えて来るから建物を高くする、密集させる、それでも収まらなくなると危険な所にもまちを広げていく。どこの都市でもそうですが、三大都市が顕著です。

神津 「免震」「減災」に対して「災害ゼロ」という言葉がありますが、地震を含めて災害は無くならないし、ゼロというのは不可能ですよね。そうすると私たちは一体何をしたらいいのだろうということに行き着くのですが。

福和 結局、価値観の問題なのですが、例えば自分の家をつくる時に今の人の価値観は何を重要としているかを考えなくてはなりません。2000年前、ローマの建築家ウィトルウィウスは「強無くして用無し、用無くして美無し、美無くして建築では無い」と言いました。優先順位はまず人間を自然から守る強さで、その次に使い勝手を考え、その次に美を考えるのが良い建築だと思われていたのです。

神津 今はおそらく、そのような優先順位がなくなっている。

福和 あと、昔の人は自分で物を考えることができていましたが、今の人は自分の家をつくるのも住宅メーカーに頼っています。そして「便利、安い、見栄えが良い、居心地が良い、法律は守って」と言うのです。そうすると安全性は法律ギリギリになります。そういう価値観の国にしてしまったので、建築家も安全について意識が低くなります。法律さえ守ればいいということになり、贅肉を削って法律ギリギリでつくれる人が優秀な設計者となります。価値観によっては、優秀な人が設計した建物ほど安全性には危うい可能性があります。

神津 今はムダが許されないですものね。ムダには良いものも悪いものもあるのですが。

福和 「バリューエンジニアリング」(性能や価値を下げずにコストを抑えること)という言葉がありますが、我々の価値観、バリューがどうなっているかが問題で、これだけ災害だらけの時代になってもバリューの中に安全という価値観がなかなか入らない。今までは早くお金を儲けたいという価値観でどんどんつくってきました。本当は危険な所と安全な所では建物の強さを変えなくてはいけなかったけれど、同じにつくってしまったので、危険な場所の建物は壊れやすいよねと、そろそろ正直に言わないといけないと思います。地球温暖化で災害が増え、少子高齢化で負債を抱え、上り調子ではない日本で、今までのやり方ではもう難しいですよね。

“自分の力でどれだけ生きていけるか、災害対応力を身に付ける

神津 青天井のお金のかけ方はできないにしても、私たちは最低限、何に気をつけなくてはならないでしょうか?

福和 まずは自分の力でどれだけ生きていけるかを、ちゃんと考えたほうがいいと思います。例えば電気も最近は停電慣れしている人がいなくなりましたが、停電させないためにどれだけお金を使っているかを考えると、多少の停電は許容する国民になったほうが豊かになります。ちょっと失敗しても許容できる社会になって、停電しても自分でまかなう努力ができるようになったほうが、日本全体としてはいい方向に向かう気がします。小さい失敗は多少許容し、大きな失敗を避けることで、あまりひどいことにならず生活できるようにしていたほうがいいですね。

神津 ところで、発電所の防災・減災についてはどうお考えでしょうか。

福和 一番の懸念は電力自由化です。この長細い国で電力会社の連系線が切れたら安定供給ができなくなるのに、自由化で価格競争になってしまったら安全に対してお金が使われなくなるからです。原子力はある程度安全には気を配っていると思います。今まで「絶対安全」と言ってきたから裏切られたのであって、少なくとも火力よりは3倍強い揺れに耐えられる設計になっていますし、しかも岩盤の上に愚直に壁だらけの建物をつくっています。原子力は技術者さえいれば安全だと思いますが、これだけ止めてしまったので、原子力は自然を正しく畏れる技術者がいれば安全性を確保できると思いますが、これだけ止めてしまったので、原子力を担う技術者が減ったのが問題です。私もゼネコンを辞めてしまいましたし、原子力の耐震技術者は減ってしまいましたね。

神津 これは結構大きい問題ですね。止めてからもう10年ほど経つわけですから。

福和 原子力はエネルギーの安定供給には寄与すると思いますが、要は国民全体がどう考えるかですね。火力は元々液状化や津波や揺れの心配がある地盤条件が特別良くない所に、ごく普通の建物を建てていることが心配です。火力発電所を動かすためにはまず燃料が必要ですが、岸壁もそれほど強くないですし、タービンが少し傾いたら動かせないなど、いろいろな気配りができているかどうか。あと、電力会社の社員もだんだん縦割りになってきて自分の担当しか見ていません。さらに発送電分離で、全体を見ている人がいなくなるのはまずいと思います。

神津 先生のシミュレーションでは、どういう危険性が生まれて来るのでしょうか?

福和 まず電気。一旦強い揺れが来ると発電所が止まります。相当数のエンジニアが来て点検などをしないと動かせないので、停電が続くようになります。しかも、火力発電所を動かすには大量の電気が必要です。最初に水力発電所から電気を持って来ないと動きません。そうすると各電力会社で動かせるのは1プラントではないでしょうか。工業用水や海水も必要です。しばらくは電気が無いことを覚悟する社会をつくっておくしかありません。わが家は田舎ですが、太陽電池、蓄電池、燃料電池の3電池住宅にしました。つぶしていた井戸も掘り直しました。潜水艦用の浄水器も購入したので井戸水も飲めるようになりました。最近は畑も始めました。おかげで腰痛です。

神津 しばらくは自分の力で生きていけるわけですか。

福和 自分の力で生きていこうとし始めたのです。私がやっていれば、「あれ? 本当に南海トラフ地震が来たら大変かもしれないな」と周辺に思わせることもできますし。

神津 先生のような方が各地域にいたほうが良いですね。

福和 10人に1人位は防災対策を趣味にしたほうがいい。皆さんも楽しみながらやればいいと思います。うちもだいぶ投資しましたが、元は取れますよ。毎日の発電量もチェックしていますし、本当に電気を節約できています。

神津 まず自衛。その次に意識が変わる。では手始めに私たちは何から始めれば良いでしょうか?

福和 私がよくやるのは、町歩き。ここはどうしてこの地名になったのだろうと、地名のナゾを考えます。もっと簡単なのは、名字を見てどんな場所で生まれたんだろうと想像して会話をすると「わがこと」として考えるようになります。人が防災行動に入っていくためには5つのステップ(①理解②納得③わがこと化④説得役に背中を押されて決断⑤実践)があります。私のような④の説得役も必要で、都会はおせっかいな人が少ないです。

神津 今は新型コロナウイルスなどの流行もありますし、豪雨や台風もあります。時代が変わると防災・減災のためには震災だけでなく、いろいろなことを考えなきゃいけないフェーズに入って来たと感じています。

福和 昔と違うのは、住んでいる所の危険度が増えてきたと認識しないといけません。危険な地域に家を建てているので、地震のときの敵の強さが大きくなっていることを忘れずにバリューエンジニアリングをしていかないといけない。便利になると、いざという時に危険です。これだけ電気、ガス、水、通信に頼っていると、電気が無いと燃料も水もつくれないというように、何か1個が無いと全部ダメになります。何か無くても生きていける準備をする、一番簡単な方法は備蓄ですね。それをもっと前向きにやろうとしたのが私なのですが、電気自動車も普及し始めていますから太陽光発電と組み合わせれば電気もつくれますし、蓄えることもできます。ある程度の災害になったら規制を取り払うことで、現代風の自給自足はできると思います。最近では庭が無くても家の中で野菜工場もつくれるではないですか。そういう趣味をもっていれば、現代風の災害対応力を強化する術になると思います。

“「コンパクト+ネットワーク」の分散型社会で被害を軽減

神津 少子高齢化が進み、あまりお金持ちでなくなり、災害が多い日本を、どうすることが最も理想だと思われますか?

福和 東京は世界中の人たちが一時滞在する都市にしておいて、人の住む場所は地方にする。東京に大学を置くのをやめる。家族は田舎で暮らし、地方に支店を置き、本社に行く時に単身赴任する。東京のお給料で地方に住むほうが豊かな生活ができますし、ライフラインやインフラも維持でき安全になります。2027年にリニア中央新幹線が開通し、東京都民がアルプスの見える家でテレワークをするようになれば、相対的に東京は安全になります。日本の国土全体をいかに上手に使いながら、人口が減っていく時代に食料もエネルギーも自給するか。食料自給率40%、エネルギー自給率9%の日本は、人口減になる2050年には今より貧しくなります。貧しくなっても生きていける国土構造に変える必要があり、現代版江戸時代をつくるしかないと思います。

神津 現代版江戸時代をつくる第一歩が、先程言われた現代版参勤交代制なのですね。

福和 既存の効率的で巨大な都市のままで良いか、それともコンパクトシティとコンパクトシティをネットワークで結び、首都一極集中を是正した分散型社会を実現するかが問われています。そして、田舎は私のように自立住宅化する。すべての家に1部屋増やす、あまり効率良くせずに1割余裕のある社会をつくろうとするだけで、災害時の対応力がずいぶん高まります。私たち日本人はやれるはずが無いと思っていた分煙も実現したし、面倒くさいごみの分別もやりました。社会全体を「コンパクト+ネットワーク」の都会と自立化した田舎に移行し、防災対策をしないと恥ずかしいと思わせたら、日本人はやると思いますよ。キャンペーンをやって、そういう暮らしがおしゃれだという雰囲気をつくれば一気に変わると思います。

神津 先生のおっしゃることを聞いていると、私たちが防災・減災に取り組むためにはまずは意識を変えることから始めれば良く、実はそれほどたいへんなことではないのかもという気がしてきました。今日はありがとうございました。

対談を終えて

「見える化」という言葉が世の中に出始めてからどのくらい経つだろう。コードの配線ではないが、目に見えないことが美しさ、便利さであると私たちは思い、魚をさばくこともできなくなり、おにぎりさえも出来合いのものを買うようになった。しかし「見えなくなった」だけで、全ては変わっていない。なくなったわけではないのだ。だからきちんと見なければいけない、知らなければいけないと「見える化」が謳われるようになったのだろう。「減災館」に行くと、さまざまなことを体験することができる。そして自分がどんなものに取り囲まれているのかも知ることができる。福和さんと話していると、すべての部分で、今私たちが享受している便利は、何かと引き換えに得ているものなのだと実感させられた。私たち人間は自然とともに生きるための術として、進歩し、そして便利に生活するようになった。一つ一つクリアしてきたのだ。勝ち得た技術や叡智は数知れない。けれども同時に、これまで当たり前のように見えていたもの、知っていたものを「見える」ように「分かる」ように工夫しなければならなくなったのも事実だ。ゴミを見ていてもいつも思う。収集車に乗せてしまえば、目の前からなくなれば「ないもの」になってしまう。コンピューターの削除と同じで、見えないだけで、なくなってはいないのだ。人間が進歩の中で見失ったものを「見える化」させることこそ、いま大切なことだと痛感した。

神津 カンナ


福和 伸夫(ふくわ のぶお)氏プロフィール

名古屋大学教授・減災連携研究センター長
1981年名古屋大学大学院工学研究科修了。建設会社勤務の後、1991年名古屋大学工学部助教授、1997年同先端技術共同研究センター教授、2001年大学院環境学研究科教授を経て現職。専門は、建築耐震工学。工学博士。建築設計一級建築士。著書に『必ずくる震災で日本を終わらせないために。』『次の震災について本当のことを話してみよう。』(時事通信社)

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