

2025年2月、第7次エネルギー基本計画が閣議決定され、再生可能エネルギーを将来最大の電源とする一方、原子力を最大限活用していくことが盛り込まれました。同年6月3日、神津カンナ氏(ETT代表)とETTメンバーは、東日本大震災から昨年14年ぶりに2号機が再稼働した東北電力株式会社女川原子力発電所(宮城県牡鹿郡女川町)を訪れ、震災前よりさらに強化された何重もの安全対策を見学しました。
女川原子力発電所は三陸海岸の南端にある牡鹿半島の中ほど、宮城県牡鹿郡女川町と石巻市にまたいで立地しています。JR仙台駅から車で約2時間、女川原子力PRセンターに到着し、大ホールにて概要説明を受け、紹介映像を見ました。女川原子力発電所は約173万㎡(東京ディズニーランド約3個分)の広い敷地に1号機(廃止措置中)、2号機(運転中)、3号機(定期事業者検査中)が設置されています。2号機と3号機の合計出力は165万kWで、宮城県の約7割に相当する電気を賄うことができます。
●1号機(廃止措置中)東日本大震災の地震発生時、運転中でしたが安全に停止しました。2018年12月に運転終了、2020年7月から廃止措置に係わる作業に着手しています。現在、2054年にかけて4段階の全工程中、第1段階の解体工事準備期間(〜2027年度末)にあり、2025年1月から燃料プールに貯蔵している使用済燃料821体を3号機の燃料プールへ搬出する作業を進めています。
●2号機(運転中)東日本大震災の地震発生時、試運転に向けて原子炉を起動した直後でしたが安全に停止しました。新規制基準適合性審査に約9年、ならびに安全対策工事に約10年かけた後、許可を受け、2024年11月15日、14年ぶりに再稼働しました。定格熱出力*にて運転継続中で、運転員は3交代勤務・24時間体制で運転操作・監視・機器操作・巡視点検などの業務にあたっています。発電所員・協力企業従業員の緊急時における対応力向上のため、さまざまな事態を想定した訓練も繰り返し実施しています。
*原子炉設置許可で認められている熱出力(原子炉で発生する熱エネルギー)の最大値。
●3号機(定期事業者検査中)東日本大震災の地震発生時、運転中でしたが安全に停止しました。2011年9月から定期事業者検査を実施し、設備の点検や安全対策に関する工事などを進めています。また、新規制基準適合性審査の申請に向けた準備の一環として、2号機の調査で得られた知見を生かしながら、2025年1月から2年程度の予定で地質調査を実施しています。
【東日本大震災の影響】牡鹿半島全体で約1m地盤沈下するなど甚大な被害が引き起こされ、女川原子力発電所も震度6弱・地震加速度567.5ガルを記録し、最大約13mの津波が押し寄せました。しかし震災前から、想定を超える規模の津波を見据え、敷地高さを海抜14.8mにしていたため、震源地から約130kmと最も近い原子力発電所*であったにも関わらず「止める」「冷やす」「閉じ込める」が機能し、3基すべての原子炉が安全に停止しました。また、近隣の住民の方々が発電所内の体育館に避難され、最長の方で3カ月間、所員の方々と生活を送られました。
*東京電力株式会社福島第一原子力発電所は震源地から約180km。
女川原子力発電所では震災や事故を教訓に、5つの備え(①津波への備え、②地震への備え、③電気と水の確保、④放射性物質を閉じ込める、⑤さまざまな災害やリスクへの備え)を元に安全対策を強化しました。 【地震への備え】震災前までに約6,600カ所の耐震工事を実施していましたが、震災後は基準地震動を従来の580ガルから1,000ガルに引き上げ、耐震裕度の向上を図るため、2号機にて約9,000カ所の耐震工事を実施しました。
発電所の所長代理より、以下のお話がありました。「世の中の流れに伴い、発電には安定供給と脱炭素が求められています。国内の発電電力量に占める原子力の割合は2023年度実績では8.5%でしたが、第7次エネルギー基本計画では2040年度に2割を賄う見通しと公表されました。現在、女川2号機を含め国内で再稼働している発電所は14基、設置許可済が3基、新規制基準適合性審査中が9基あります。原子力発電所は安全・安定運転のため約1年に1回、3〜4カ月は停止して定期検査を行うため、2割達成のためにはこれら計26基の稼働が必要です。女川2号機は昨年再稼働して安全・安定運転に努めているところです。また、地域の方々のご理解をいただきながら日々情報を発信し続けています」
次に、PRセンターのスタッフの説明を伺いながら館内を見学しました。1号機の立地が決定された1968年から現在までの歩みを紹介したパネルや、発電所の1/50サイズの模型を使って学べる「原子力発電のしくみ」、原子力発電の制御のしくみが学べる「1/2の原子炉模型」を説明していただきました。「燃料模型」のコーナーでは、ウラン燃料を焼き固めたペレットをたくさん入れた燃料棒を収納した、高さ約4m(実物大)の燃料集合体の模型が展示されています。たった直径約1cm・長さ約1cm・重さ約10gの円柱状ペレット1つで1家庭の約8カ月分の電気をつくることができます。燃料集合体は一度原子炉に入れると4、5年使用でき、1号機に368体、2,3号機には560体入っています。
PRセンターからバスに乗り、約10分で女川原子力発電所に入構しました。構内は撮影禁止で、所員の方の説明を伺いながら車窓からさまざまな安全対策設備を見学しました。

【リスクへの備え】構内に入ってすぐに緊急時用のヘリポートがあります。通常時、原子力発電所の周辺は飛行禁止区域になっていますが、震災時にはヘリコプターが発電所と仙台を往復し、物資輸送や避難者の病院搬送に使われました。また、ゲート前には土砂の山がありました。発電所は山に囲まれているので、安全対策工事を行うためまず平地に整備して、発生した大量の土砂は地域で復興の嵩上げ工事を行う際に提供しているそうです。その後、海抜約60mの高台に移動し、新規制基準に適合するよう新たにつくった安全対策設備を車窓から見て回りました。
【水源の確保】コンクリートで固めた駐車場のような場所は、地下に埋まっている「淡水貯水槽(地下式)」です。長さ54m×幅42m×深さ10m、貯水容量は約1万トンで、25mプール約20杯分に相当します。工事中の写真を見ると非常に大きい設備であることがわかりました。重大事故が起きた際、原子炉を冷やす水を確保するため、元々あった水源に加えて新しくつくったものだそうです。一般の消防車の10倍以上の送水能力がある「大容量送水ポンプ車」(10台配備)を使って、直径約30cm・長さ約4.2kmもあるホースで、「淡水貯水槽」から原子炉建屋の原子炉や燃料貯蔵プールに直接または間接的に注水することになっています。
【リスクへの備え】「緊急時対策建屋」は重大事故が起きた際の対応の拠点です。約200名の要員が7日間活動できるように食料や水などを備蓄しているほか、国や自治体、仙台の本店などとの通信連絡設備も多様に備えています。放射性物質が放出されているかもしれない状況で使用するため、窓がありません。外の空気を取り込む際には非常用フィルタ装置を通します。また、地下の空気ボンベ室の空気だけでやりくりすることもできるそうです。
【電気の対策】「ガスタービン発電設備」は送電線(外部電源)や原子炉建屋内にある非常用ディーゼル発電機など、すべての電源が喪失した際の最終手段として電源を確保します。飛来物対策のため頑丈な壁で囲われていますが、工事中の写真を見ると、前面のパネルが開いて黄色い車が4台並んでいました。電気をつくる「発電機車」と、発電機車をコントロールする「制御車」を2台1セットで使い、2セット分が配備されています。原子炉建屋内にある非常用ディーゼル発電機は海水を使う水冷式ですが、「ガスタービン発電機」は空冷式で、水が確保できなくても1台あたり約3,600kW(一般家庭約1,200軒分の電気)をつくることができます。燃料は軽油で、配管が通っている地面の下に「地下軽油タンク」が埋設されて大地震や竜巻の影響を回避するため地下化しているそうです。容量110kLのタンクが3基あり、構内に備蓄している軽油と併せて7日間、外部からの補給なしにガスタービン発電設備による発電を継続できるそうです。
【リスクへの備え】バスが原子炉建屋のほうへ下って行く途中に、関係企業や研究員の方々が働く「保修センター」がありました。その前方に見える斜面は耐火性のモルタルで固めた「防火帯」で、森林火災に備えて発電所を囲むよう張り巡らされています。元々は張り出した地形でしたが、土砂崩落した場合に影響がないよう、削って後退させたそうです。原子炉建屋へ向かう道中、赤くコーティングされた道路を横断しました。海抜約60m地点の安全対策設備を原子炉へ運ぶため、ルートの複数化でリスク分散するために新しくつくったそうです。また、風速100mの竜巻が発生した際に、車両が飛来物となって重要な設備に被害を与えないよう、駐車場に停めてある乗用車の足元は緑色のベルトで固縛していました。廃止措置中の1号機、その奥に運転中の2号機、左手にこれから見学する定期事業者検査中の3号機が見えてきました。
2班に分かれ、定期事業者検査中の3号機の原子炉建屋の中を見学しました。エレベーターで上り、建屋内の気圧を調整する二重扉を抜け、「原子力ギャラリー」に入りました。建屋の断面図を見ると、約286℃の蒸気がつくられる原子炉の真上にあたります。約20m下の原子炉圧力容器の中には560体の燃料集合体が入っているそうです。大きな窓からフロアを見ると、原子炉の隣に使用済燃料を保管する燃料プールが見えます。水深約12mの中に、現在は新燃料56体、使用済燃料1,335体の計1,391体が納められているとのことです。燃料の交換は、原子炉の運転を停止する定期検査の際に行います。原子炉内に水を注入し、原子炉と燃料プールの水位を一定にした後、緑色の大きな燃料交換機から銀色の筒を伸び縮みさせて原子炉内の燃料を1体ずつ引き上げ、次に燃料交換機を燃料プールの上に移動させて燃料を中に納めます。UFOキャッチャーのような要領ですべて水中で作業を行い、1体につき約6分、全体の1/4から1/5ずつ交換するそうです。ここでちょうど、廃止措置中の1号機の使用済燃料をこちらの3号機のプールに移送する作業を見ることができ、黄色い作業服を着た方々が燃料交換機の上で筒を操作されている様子を目の当たりにしました。
再び二重扉を通り抜けてタービン建屋へ移動し、「タービンギャラリー」に入りました。大きな窓から見ると、タービンの羽など数多くの部品がバラバラに分解された状態で床に置かれていることに驚きました。震災後に分解し、点検・補修作業は完了していますが、稼働が決まるまではバラバラにした状態で保管しているそうです。手前に箱形の高圧タービン、奥にカマボコ型の低圧タービンが2台並び、さらに奥には発電機が1本の軸でつながっています。発電機は高さ約5m×奥行約11mと大きく、1分間に1,500回転します。震災時、3号機は運転中で、軸を支える中間軸受け台が約3〜6mm浮き上がり、軸も約1cmずれる被害を受けました。さらにタービンの羽も、1cm間隔で交互に並ぶ動翼と静翼が接触する被害を受け、約1万枚ある羽のうち約7千枚を交換したそうです。
【放射性物質を閉じ込める】東京電力福島第一原子力発電所(以下、福島第一)の事故を踏まえ、原子炉建屋内にも安全対策設備を新設しました。原子炉を冷やせなくなると格納容器内の温度と圧力が高まるため、蒸気を外に逃がして破損を防ぎます。運転中の2号機には、放射性物質の放出量を1/1000以下に抑制する「フィルタ付格納容器ベント装置」を設置したそうです。非常時には中央制御室から操作をしますが、電源喪失を想定して手動での遠隔操作も可能なしくみになっています。また、原子炉を冷やせなくなると燃料被覆管が高温になって周囲の水と反応し、爆発の原因となる水素が発生します。水素は空気より軽いので、2号機建屋の上部に水素の濃度上昇を抑制する「水素再結合装置」を19台設置しています。なお、緊急安全対策として、震災翌年の2012年から2013年にかけて、水素爆発を防止するため、原子炉建屋内に滞留した水素を迅速・確実に放出する「建屋ベント装置」、原子炉建屋内の水素濃度を監視するための「水素検知器」を設置したそうです。また、見学した3号機の建屋自体も鉄筋やコンクリートで耐震補強されていました。
【津波への備え】再びバスに乗り、防潮堤の方へ下りて行きました。震災時の敷地高さは海抜14.8mでしたが、牡鹿半島全体が1m地盤沈下したため、海抜13.8mとなりました。押し寄せた津波は最大13mだったので80cmの余裕があり、敷地内へ乗り越えることはなかったそうです。震災後は想定される津波高さを最大23.1mに見直し、地域住民の方々に安心していただけるよう、海抜29mの防潮堤を設置しました。総延長約800mのうち約680mは海水ポンプなどの重要な設備に干渉しないよう「鋼管式鉛直壁」、残りの約120mは敷地側と海側をつなぐ道路を確保するために「盛土式(セメント改良土)」としています。また、原子炉を冷やす海水を確保するための取水口に流入した海水が敷地内に浸入するのを防ぐため、敷地側の開口部を囲むように海抜19mの防潮壁(鋼製パネル)も設置しました。バスから降りて防潮堤を見ると、以前の敷地高さ14.8mの所に段差があり、下の道路に停まっている乗用車と見比べると、13mの津波がいかに大きいものだったかわかりました。
見学の最後にPRセンター所長から、「女川2号機再稼働にあたっての報道では、被災した原子力発電所であることと、福島第一と同じ沸騰水型軽水炉であることがセットで報じられたことにより、女川も福島と同じような事故になるのではないかと不安を覚えた方もいるのではないかと思っています」とのお話がありました。「不安を感じている方には情報を提供していきたいし、実際にどういう安全対策をしているか発電所をご覧いただきたい。ただ見学会は人数制限もあるので、もし皆さまの周りにそのような不安を抱えている方がいらしたら、今日見てきたことを伝えていただきたい」との言葉にメンバーは皆、深くうなずきながら一日の見学を終えました。
私が東日本大震災後に初めて女川原子力発電所を訪れたのは2012年8月29日のことだった。その1年後の2013年9月2日、40名のETTメンバーとともに再び女川の発電所を訪れた。だから今回の訪問は3回目である。最初の訪問時、発電所はまだ傷跡も生々しかった。そして2回目にETTメンバーとともに訪れたときは、町も復興のまっただ中だった。そして今回、3回目。2号機が昨年再稼働した女川原子力発電所をETTメンバーとともに訪れた。東日本大震災から14年余りの歳月が流れたのである。感慨ひとしおだった。
帰りのバスの中で、一人一人が忌憚のない意見を述べたが、その中で福島第一原子力発電所から10キロ圏内に住んでいた方が、女川の努力と研鑽には脱帽する……と言ったあと、こう付け加えた。「仕方がないのだろうが、どの原子力発電所に行っても、新規制基準に則した対策を講じたことを説明するとき、福島第一よりも、とか、福島第一と較べてとか、とにかく福島第一と頻繁に例に出される。分っているけれど、そしてその通りだけれど、そのたびに心が痛むんですよね」と。言葉を生業にする私にはズシンと来る言葉だった。
もちろん使ってはいけない言葉ではないし、福島第一は確かに原子力事故を起こしたのだから仕方がないのだけれど、14年経つとだんだんに痛みが見えなくなるのは確かだ。言葉の受け手の感じ方もさまざまだ。だからどんなに年月が経っても、そういうことを慮かれることがますます重要になってくるのだろう。
定点観測が必要だとつくづく思った。そういう意味では、違うモノが見えてくるということは大切なことであり、そして年月が経ったということに違いないのである。AIもコンピュータもチャットGPTも教えてくれない「何か」を掴めるチャンスである。
よし!また来るぞ!と思いを新たにした見学会であり、定点観測が大切だということを思い知らされた見学会だった。
神津 カンナ