経団連会館にて開催したメンバー会議では、2023年度の活動および2024年度活動計画(案)についての報告後、小林武彦氏(東京大学定量生命科学研究所教授)による「人はなぜ老い、そして死ぬのか〜「今、必要なシニア"力"とは何か」〜」の講演後、ETT神津代表とのトークタイムと質疑応答を行いました。
本日はまず、皆さまにすべての生き物は必ず死ぬという前提からご理解いただきたいと思います。生き物の寿命はかなり異なり、例えば酵母菌の寿命は2、3日ですが、ウミガメは100年、北極海の深海にいるニシオンデンザメは400年と言われています。そして同種の場合には、体が大きいほど長生きするという生物の法則があります。鳥類の中でインコ、ジュウシマツなど小さい鳥は5年くらい、アヒルは20年、鶴は40年です。ヒトの寿命は住んでいる国の平和度や医療レベルなど社会的要因で異なり、50.7〜84.3歳と幅があり、平均で73.3歳です。ヒトの場合は中肉中背の体型が長寿の条件で、病気で亡くなることが多くなっています。
生き物の死に方には3つのパターンがあります。1つ目は、昆虫に代表されるプログラム型。カブトムシはお盆を過ぎたあたりから、あんなに元気だったのに急に死んでしまいますよね。2つ目は、食べられて死ぬ小動物のようなアクシデント型。ネズミはペットとして飼っていると2〜3年の寿命ですが、野生のネズミなどはカラスや猫に食べられてしまうため寿命は1年ほどです。また魚類のマグロは数千万個の卵を産みますが、成体になれるのはわずか数十匹でしかありません。3つ目は、自分自身が食べることができなくなって死ぬ大型動物のような老化型。例えばホッキョクグマは、老化で体が動かなくなり餌のアザラシを捕食できなくなると飢えて死んでしまいます。
進化を経て、とても精巧にできている生き物なのに、なぜ死ななければならないのでしょうか。不条理に思えます。しかし私は、老化や死を止められなかった理由が生物の進化にあると考え、生物が一番最初にできた細胞、生物の起源まで遡って、いつ「死」というものが始まったのかを考えました。
生命の誕生は今から38億年前といわれ、地球の熱水噴出孔の周りで起こった化学反応からRNA、アミノ酸などの有機物が合成されたと考えられています。ここまでは実験室でも生成できますが、ここから先は奇跡が起こったと言えます。「変化」と「選択」が繰り返し起こり、姿や性質が変わっていく進化のプログラムが始まったのです。「変化」とは、例えば皆さんは親とは違う多様性を持って生まれています。「選択」は、多様な個体のうち、偶然環境に適応して生き残ることができるということです。
まず最初にできたのは、RNA(リボ核酸)という物質です。4種類のブロックがつながった長いひも型の分子で、これには2つの性質があります。1つは「自己編集能」、自分で自分を切ったり、形を変えることができる代わりに、壊れやすい。もう1つは「自己複製能」、自分のコピーを作れる。下の図で言うと、黒のブロック下の赤のブロックのように型と鋳型無関係で同じものが作られます。そういう機能を持ったRNAがやがて進化のプログラムの中で偶然いろいろなRNAをつくります。
RNAの長いひもの中で、ブロックの並び順によっていろいろな構造を作り、例えばABCDEという5種のRNAを作ったとします。その中でコピーを作りやすい、あるいは壊れにくいAが増加して、他のBCDEは分解されてAの材料になります。これが第一の「選択」で、次にAに「変化」が起きてコピーしやすかったり分解されにくかったりすると、複製、分解を繰り返すうちにA’ばかりになって、元のAは消えてしまいます。これが死です。次にA’がまた変異してA’’、さらにA’’が変異してA’’’というように、長い時間をかけて繰り返した結果、超増えやすい私たちの遥か遠い祖先の遺伝情報(ゲノム)、いわば生物の設計図になったと考えられています。つまり、「変化」「選択」という進化のプログラムの過程で生き残ってきたのがヒトであり、今でも私たちは進化し続けています。
進化の過程で、今ではゲノムはRNAからDNA(デオキシリボ核酸)にバトンタッチされています。ただしRNAはタンパク質を作る役目として残っており、新型コロナウイルス感染症ワクチンは、ウイルスのタンパク質を作るもとになるような遺伝情報の一部を使ったメッセンジャーRNAワクチンで、これを接種すると、体内で作られたタンパク質がコロナに対する抗体を作り免疫を獲得します。
RNAが一本の鎖であるのに対し、二本鎖のDNAの方はやや壊れにくいとはいえ、遺伝情報が大量になりヒトの場合は約30億もあり、その長さ2mもの鎖が1/100ミリの大きさの細胞の中の核に折り込まれているため、切れたり間違えたりすることもあります。これがやがて病気になったり、老化あるいは死をもたらしたりするのです。
ヒトの遺伝病には、希少疾患ですがヒト早期老化症という病気があります。思春期を過ぎてから急速に老化症状が表れ、平均死亡年齢が50歳ぐらいです。原因はゲノム修復に関わる遺伝子の働きが弱くなって寿命が短くなるからです。また2022年にイギリスのNature誌に発表された研究では、寿命が長い生き物ほどDNAが壊れにくく、例えばネズミは1年間に一つの細胞あたり800カ所も壊れ、寿命は2〜3年ですが、ヒトはそれに対して1年間に60カ所くらいとネズミの1/20しか壊れず寿命が長いというのです。
生物がなぜ老いて死ぬのかといえば、ゲノムが壊れるからです。なぜ死なないようにできなかったのかといえば、ゲノムが壊れなければ「変化」と「選択」が起きないので進化もできなかったからです。つまり過去の無数の生き物の死の結果、私たちは存在しています。だから死ぬということは究極の利他的な行為で、世代交代しても進化できて新しい環境に適応できるように、生き物は初めから死ぬようにできていると言えます。
ヒトは他の生き物に比べ、老いながらもかなり長生きできます。世界第2位の長寿者は日本の女性で、2022年に亡くなりましたが119歳でした。現在は世界第3位の日本の女性が115歳です。世界でご存命のトップ10のうち5名が日本人の女性なのです。そして日本には100歳以上の長寿者が約9万人いて、9割が女性で、2000〜2020年のOECD38カ国の平均寿命を比べると、ダントツで日本が1位を独走しています。一方、戦後の日本人の生存曲線を見ていくと、平均寿命は伸びていますが、最大寿命の伸びは変わっていません。2016年のNature誌での発表でも、人口統計学的に1990年代から最長寿者層の生存率は伸びていません。つまり、ヒトには限界寿命があって、それはおそらく115歳から125歳ぐらいと言われています。
実は老いはヒト特有の生理現象と言えます。2017年の研究で53種の野生哺乳動物のメスを観察した結果、生殖可能な期間を終えたメスは寿命を迎え、唯一老後があるのが、ヒト以外ではシャチとゴンドウクジラだけです。ヒトの場合は、閉経後も30年から40年生きていますが、ヒトに近いチンパンジーやゴリラでも「老後」というものがありません。ここには進化の過程が関係します。ヒトは700万年くらい前にチンパンジーと共通の祖先から分かれ、猿人、原人、旧人、新人になりアフリカから出たのが今から6万年くらい前です。霊長類の中でヒトになってから老後ができたのなら、ヒトとサルの違いは何か。二足歩行や頭が大きくなったというのもありますが、見た目ですぐわかるのは体毛が減少したことです。
体毛が減ると、体が寒くなり、火を使う、毛皮をはぐ、家を作るといった変化が起きますが、もっとも困ったのは、子育てです。サルなら生まれて数日で自力で母親につかまることができるので、母サルは手が自由でなんでもできます。ところがヒトの赤ん坊は3歳くらいまで自分で何もできないからいつも抱っこしていなければならない。その時に助けになってくれたのが、長生きしている老人でした。これが1960年代から言われている「ヒト長寿化のおばあちゃん仮説」というものです。また、これは私の考えですが、わたしたちの祖先は狩猟採集をするため移動しながら集団で暮らし、その時に必要な知識は経験豊富な長寿者が持っていました。そして集団の利益を考えて私欲が少ない老人がいて協力し合う集団ほど栄え、年長者の寿命が延びる正のスパイラルが生まれたと想像できます。そして老いの意味とは何かといえば、利己的な若い時とは異なり、利他的に意識が変化し、社会や集団に貢献することを担うようになることです。
死の意味を考えるためには、死なない生き物と比べることでわかるのではないかと考えても、残念なことに生き物はすべて死にます。ならば死なないものの代表としてAI、人工知能と比べてはどうでしょう。人類が作り出した死なないAIとは、なんでも知っていてなんでも答えを出してくれるけれど、私たちは悩みながら自分の頭で考えて成長すると思いませんか。学生たちはすでにレポートをAIに書かせていて素晴らしい文章にもなっています。でも考えることをやめてしまって本当にいいのでしょうか。もちろんAIにもメリットがあり、例えば高齢者の身体の衰えや認知能力低下の手助けをしてくれる技術をもたらしてくれればいいですよね。でも最悪のシナリオとして、絶対的な存在となったAIのメンテナンス作業だけが人の仕事になったりしたらどうでしょうか。優秀で便利なAIとは慎重に接しながら、生きて死んでいくヒトとの共存、そしてヒトの幸福とは何かをしっかり考えることが重要だと思います。
「老い」ても役割があって生かされている年長者とはいえ、本人の幸せとは何かということを、1989年にスウェーデンの社会学者ラウス・トルンスタムが調査・分析しました。老年の健常者たちは死が近くなると暗くなったり落ち込んだりするのではないかと思っていたところ、みんなが明るくてポジティブだったそうです。そしてトルンスタムは85歳のヒトが持つ心理的特性のことを「老年的超越」と名づけました。超越前は一般に物質主義的(合理的)、自己中心的、競争的、現実的な世界観を持っていましたが、宇宙的、超越的、非合理的な世界観へ意識が変化しているというのです。そして85歳以上の人が持つ心理的な特性として、他者に支えられていることに感謝の気持ちがあり、自分中心主義から他者を大切にする姿勢になり、肯定的な自己評価やポジティブな感情を持っているそうです。その裏には十分に生きたという満足感と幸福感があり、いつ死んでも悔いはない、つまり死に対する恐怖の消失があります。幸せな気分で死を迎えられるなんて福祉国家スウェーデンだからこそと思われるかもしれませんが、日本でも国立長寿医療研究センターと大阪大学で調査したところ、ほぼ同じ結果が得られました。老年的超越を目指してこの境地に達するためには、幸福感に満ちた心境に達するまで頑張ること、長寿のために健康を目指すこと、そして個人の努力に加えて、社会制度の構築や整備も必要だと思います。
講演後、神津ETT代表とのトークが行われました。「生物学者として老いと死を研究していらして、ご自身の老後についてどう考えているか」の質問に対し、「自分が長生きするモチベーションとして、シニアのローリングモデルになり、専門的な話を一般の人にわかる言葉で伝えていきたい」と答えられました。
さらに神津代表が「老年的超越について、自分が大病を経験した後で近い境地を感じるようになった」と感想を述べると、「心理学の心的外傷後成長(PTG)に似ていて、最初は落ち込むけれどある時になると吹っ切れて老年的超越と同じような心境になるものです」と答えられました。
また「65歳で定年になると、健康な人ならその先20年間、知識や経験を活かせる場を作らないともったいない。シニアが社会に参画できるような、ライフスタイルに合った社会制度も必要」と意見を述べられました。
会場からは不老不死の研究についての質問が出されると、「120歳までは元気で生きていける未来は来ると思う。ただし医療や身体機能の低下を補助する技術の発展も必須」と答えられました。また生き物の中で植物の進化や寿命についての問いには、「植物は動かない生き物なので、例えば屋久島の縄文杉など環境が安定している大木は樹齢3,000年にもなり、植物は動物と違って一部が死んでも生き続けることができる」と答えられました。
東京大学定量生命科学研究所教授
神奈川県横浜市生まれ、静岡県三島市在住。九州大学大学院修了(理学博士、分子生物学)。米国ロシュ分子生物学研究所(製薬会社)・博士研究員、米国国立衛生研究所・博士研究員、愛知県岡崎市基礎生物学研究所・助教授(准教授)、静岡県三島市国立遺伝学研究所(東京工業大学生体システム研究科兼任)・教授を経て、現職に至る。日本学術会議会員。生物科学学会連合代表、日本遺伝学会会長、日本学術会議会員などを歴任。伊豆の海、箱根の山そして富士山をこよなく愛する。著書にベストセラー「生物はなぜ死ぬのか」(講談社現代新書)、「DNA の98%は謎」(講談社ブルーバックス)「寿命はなぜ決まっているのか」(岩波ジュニア新書)。近著に「なぜヒトだけが老いるのか」(講談社現代新書)。