すべての生き物はいつか必ず死を迎え、私たちは死に対して人生のはかなさを感じます。では、地球の生き物の「死」はいつから始まったのでしょうか。生命のシステム、そして人の老いや生命の意義について、生物学者としての観点から小林武彦氏(東京大学定量生命科学研究所教授)にお話を伺い、その後、質疑応答が行われました。
生物学者の私は通常は細胞の老化を研究してますが、生き物の死の意味について興味を持ち、『生物はなぜ死ぬのか』という本にまとめました。皆さんはすべての生き物はなぜ死ぬと思いますか。人間や動物に限らず、細胞一つひとつでさえ、極めて緻密に精巧にできているのに、老化や死から逃れることができないのは不条理にも思えます。
生き物の死に方には3つの典型的なパターンがあります。その1は、プログラム型の昆虫。太古から存在するカゲロウは、成虫になってから数時間の命です。餌をきちんと与えていてもカブトムシの成虫は2カ月ほどの命です。その2は、アクシデント型の小動物。野生のネズミは怪我をしたり他の動物に食べられ数カ月から1年の寿命です。魚類に至っては成体になる確率が極めて低く、成体になる前にほとんどが食べられてしまいます。その3は、老化型の大型動物。ホッキョクグマのように老化が理由で餌のアザラシを捕食できなくなると死にます。
老化や死を止められなかったのは、それらは生き物の進化に必要だったのではないかと考え、その端緒を地球の生き物の起源、約38億年前に遡って考えてみました。地球の生命は、海底の熱水噴出孔の周りで起きた化学反応により作られたRNAやアミノ酸などの有機物が基本になったと考えられています。RNAは4種類のブロックがつながった長いひも状の分子ですが、特徴は2つあります。一つは、自分自身で姿形を変えられる「自己編集能」、もう一つはオリジナルから時間をかけてコピーを作れる「自己複製能」です。
RNAは、ここから奇跡的な進化が始まります。RNAの長いひもの中で、ブロックの並び順によっていろいろな構造が作られます。たとえばABCDEという5種類のRNAができたとすると、その中から複製能力が高く壊れにくいAが増えると、他のBCDEは分解されてAの材料になります。この「選択」の次に、Aにも「変化」が起こり、複製能力が高いA’が偶然生まれ、やがてA’のみになります。これを繰り返していくと、A’’’’’’’というような、複製が作りやすく、かつ分解されにくいRNAが残り、これが私たちの究極の先祖と言えるゲノム(遺伝情報)になったと考えられています。ゲノムは壊され作り変えられ選択され進化していったわけですが、だからゲノムが壊れる=死ぬ というのが、「死の起源」ではないかと考えています。
現在ではゲノムはひも状のRNAから二重らせん構造のDNAになり、より壊れにくくなっています。そしていろいろな生き物(哺乳類)のDNAの壊れやすさを調べると、寿命が長い生き物ほどDNAは壊れにくく、ヒトは最も壊れにくいのです。しかしごく稀ですが、ゲノムが壊れやすく老化速度が速くなってしまうヒト早期老化症という潜性(劣性)遺伝病があり、寿命は短くなります。また、がんはゲノムの傷が原因で発生します。もしDNA修復力を高める遺伝子をデザインできたら、寿命を延ばすことができるようになるかもしれません。
生き物が死ぬ原因はゲノムが壊れるからです。ではその死の意味とは何でしょうか。ゲノムが壊れなければ「変化」も「選択」も起こらず、進化できなかった —— つまり死は長い目で見ると進化に必要で、子孫が生き残るために必要だったのです。言い換えれば命をつなげる利他的な役割があったのではないでしょうか。加えて、短い目で見れば、私たちが毎日食べている肉や魚だって、それらの死がなければ私たちの生は支えられないわけです。
すべての生き物は残念ながら始めから死ぬようにできていても、ヒトはかなり長寿な生き物です。しかも日本は世界で最も平均寿命が長く、歴代世界2位の長寿者の日本人の女性で119才でした。ご存命の日本最長寿者の女性は世界1位、歴代23位でもあり、現在116才です。では平均寿命はこのまま伸び続けるのかといえば、そうではありません。戦後の統計によると、日本人の最大寿命=寿命の限界は伸びていませんし、おそらく115〜125才が限界年齢と考えられています。
老いはヒト特有の生理現象だといえます。というのは他のほとんどの哺乳動物のメスは、一生涯、生殖可能で子供が産めるため、老後はありません。ゲノムが似ているチンパンジーでさえ老後はありません。なぜヒトにだけ長い老後があるのでしょうか。それは進化の過程における大きな変化が原因です。
人類は、今から約700万年前にチンパンジーと共通の祖先から枝分かれし、猿人、原人、旧人と進化。その過程で絶滅した種族がいて、現在の人類に続く系統の新人(ホモ・サピエンス)だけが生き残りました。約200万年前から火を使うようになり、体毛が減少しています。おそらく火の利用には体毛が邪魔だったからかもしれません。でも体毛が少なくなると、寒いし怪我をしやすくなるし困ったことが多いです。最も困ったのは子育てでした。猿の赤ちゃんは生まれてすぐに母猿の体毛にしがみつけるので母猿は自由に両手が使えますが、ヒトの赤ちゃんの場合は、3才くらいまで自分では何もできないので、母親が抱っこしなくてはなりません。
そこで助けになるのが、年長者です。1960年代から言われている「おばあちゃん仮説」では、子育て中に母親の助けをしてくれるおばあちゃんだけでなく、おじいちゃんも元気で長生きしている集団は栄えると考えられています。ヒトの祖先は集団で暮らす社会性の生き物なので、狩猟採集時代から経験や知識が豊富な年長者にノウハウを教わることができ、年長者のまとめる力によって集団はより結束が強くなったと考えられます。そして文明が高度になれば、年長者(シニア)は知識や技術の継承など教育の場でも活躍し、集団が豊かになればシニアはますます元気になるという、寿命延長の正のスパイラルが生まれたと考えられるのです。だから老いというのは、利己から利他への意識の変化により、社会貢献のために獲得されたヒトだけの特質だといえます。
シニアのおかげでヒトは順調に進化してきました。でも長生きしたシニア本人にとっての幸せとは何でしょうか。生物学的な幸せとは、食べることができて死なないということになりますが、私たちはエネルギーが安定的に供給され、安全で安心な暮らしができ、さらに将来の希望がなければ幸せとはいえませんよね。
1989年、スウェーデンの社会学者ラルス・トルンスタムが高齢者に調査した結果から提唱した概念に「老年的超越」というものがあります。これは85才以上の人が「宇宙的、超越的、非合理的な世界観への意識の変化」をすることを意味しています。若い時には、物質主義的(合理的)で、自己中心的、競争的、現実的だったのが180度変わり、他者に支えられているという認識と感謝の念が強まり、他者を大切に思い、ポジティブな感情を持つようになるというものです。この心境に似ていると思うのは、縁側に座って猫を撫でながら庭を眺め、訪れた人誰でも親切に話を聞いてくれるドラえもんのおばあちゃんですよね。
スウェーデンのみならず、日本の大阪大学と長寿科学研究所の調査でも、結果は同じようなものでした。またパートナーと死別したり、過去に大病を患った人は、超越が顕著でした。非常につらい出来事の経験をきっかけに、それを乗り越えることで心の成長があるのだと思います。シニアの場合、十分に生きたという満足感と幸福感から、死に対する恐怖が消失するのであれば、これこそ長寿の目標と言えるのではないでしょうか。ですから、老年的超越を目指して、幸福感に満ちた心境、ポジティブな考えになるまで頑張って生きることこそ、長生きする意味だと考えています。
Q:今の世界的な戦争の状況を見ていると、なぜ人間は生きられる命を殺すようになってしまうのかがわからない。
A:なぜ戦争をやめられないかというと、争いを抑えるシニアパワーが足りないからだと思う。例えばアフリカの紛争地域では平均寿命が50才くらいと短く、叡智に富んだ人が正しいことをきちんと伝えられていないのかもしれません。次世代のためを思いシニアが意見しなければ、命を無理やり奪う戦争は終わらない。
Q:ヒトの寿命が伸びたのは、ゲノムが壊れにくくなったからと言っていいのか。
A:進化は最低でも何万年もかかる。平均寿命を決めているのは赤ちゃんや乳幼児の死亡率の減少であり、現代では多くの国で栄養状態が良くなって免疫力が上がり、結核などの伝染病が減っている。だから寿命を延ばすために最も必要なのは、食事と休息と運動だと言える。
Q:公衆衛生が良くなり子どもが健康に産まれる割合が高くなったのに、少子化問題はなぜ解決しないのか。
A:長寿化すると少子化になるのは生物学的には事実だ。700万年前に誕生した人類は、農耕で定住化する前の狩猟採集時代つまり699万年の間に獲得した遺伝子でここまで繁栄してきた。でもなぜ先進国が少子化になったかというと、その遺伝子が役に立っていないからだ。少子化は若い世代の経済問題が理由とも言われているが、子どもを作ることにメリットを感じないような社会構造に変わり、将来への希望が見えない。子育てや教育といった社会環境が整っていないことに一番の要因があると思う。
Q:作物の遺伝子組替えのように、自然に対して人間が手を加えるのは、地球全体で考えるといいことだろうか。
A:遺伝子操作した作物は、農薬を減らせたり栄養分が多いので、タネを拡散しないように完全に管理できればいいと思う。しかし自然界に混じってしまうと、生態系にどのような影響を与えるのかは不明だ。将来的に必ず地球で食糧不足が起こるから、慎重に管理しながら進めていく必要がある。
Q:ヒトは住んでいる土地によって外見や人間性も変わるが、これはDNAによるものなのか。
A:例えばアフリカで肌の色が黒く、欧州では白いといった差異は、Human Diversity(ヒトの多様性)であり、ゲノムは0.1%違うだけで見られる。一方、ヒトとチンパンジーでは1%も違う。生物学的に見ると、その多様性のおかげで私たちは生きてこられた。遺伝学において、かつて優性・劣性という言葉が用いられてきたが、劣っているという意味にとらえられてしまうので、教育用語ではニュートラルな顕性・潜性という表現に変えた。また◯◯異常という表現も、生物学の観点からすると異常ではなく進化の過程で生まれた多様性だと考えている。生物の多様性がなければヒトが生きていけないのは、一つの生き物を食べる生き物がいて、その連続の結果をやがて人間が食べているのだから、一つの種が絶滅しただけでもどうなってしまうのか予測は不可能だ。多様性をリスペクトしなければいけないと思う。
東京大学定量生命科学研究所教授
神奈川県横浜市生まれ、静岡県三島市在住。九州大学大学院修了(理学博士)。基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所(製薬企業)、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所、 東京工業大学などを経て現職に至る。日本学術会議会員。生物科学学会連合代表、日本遺伝学会会長などを歴任。伊豆の海、箱根の山そして富士山をこよなく愛する。著書にベストセラー「生物はなぜ死ぬのか」(講談社現代新書)、「DNAの98%は謎」(講談社ブルーバックス)、「寿命はなぜ決まっているのか」(岩波ジュニア新書)。近著に「なぜヒトだけが老いるのか」(講談社現代新書)。