脱炭素社会を考える時に、今の日本のエネルギーとそれを取り巻くさまざまな課題が浮かび上がってきます。原子力や再エネだけではない、新しい技術のエネルギーである水素の研究・開発・導入の現在と未来について、佐々木一成氏(九州大学副学長・主幹教授)に詳しくお話しいただきました。

日本のエネルギーについてさまざまな議論が交わされていますが、エネルギーは社会全体に大きなインパクトを与える重要な存在です。過去20年の貿易収支を見ると、日本は自動車や機械などの輸出で稼いでいる分の大半を、エネルギーの代金、つまり化石燃料の輸入費で支出しており、近年は円安やロシアのウクライナ侵攻などにより輸入費が高騰しています。燃料資源の輸入費は消費税約10%分に相当し、消費税であれば国内で社会保障費などに充当されるのに対し、年に20〜30兆円も資源国に流出しているのです。今後の日本の産業や輸出の先行きが不透明な中、高いエネルギー代金を将来に渡り払い続けなければならないかを考えると、国産のエネルギーを増やすことが必要になってくることがわかります。そのために再エネや原子力の比率を高めるとともに、水から電気分解で作れる水素を活用する研究が進められています。水素はユニークな存在で、電気や熱と並ぶ二次エネルギーとして注目されています。
原始時代からの歴史において、エネルギー消費量は少しずつ増えてきましたが、18世紀後半からは急速に増加し始めました。燃料が薪から石炭へと移行したイギリスで蒸気機関が発明され、産業革命が起こり、その波が世界に伝播したからです。日本でもヨーロッパの動静が情報として早く伝わっていた九州では、明治時代に本格的な石炭の採掘を始め、豊富だった石炭資源を使い日本初の官営八幡製鐵所で鉄の製造が始まった1901年から、日本は近代化の道を進むようになります。時代が進み1960年代になると世界で石油が大量に安く供給されるようになり、日本でも石油需要が増加します。ところが中東の産油国で紛争が起きオイルショックの煽りを受け、日本は脱石油をめざす時代に入ります。その後、地球温暖化対策のため、世界は脱炭素エネルギーの時代に向かう、というように、エネルギーの転換は、とても時間がかかるものです。新しいエネルギー技術は、10〜50年の単位で少しずつ社会に浸透していきます。天然ガスが過去のわかりやすい例です。かつて石炭からガスを作っていた時代には、都市公害が課題でした。首都圏では東京ガスと東京電力が業界を超えて結束し、まだ高価だった天然ガスを液体にしてアラスカから船で日本に輸送しました。ただし各家庭に全て都市ガスとして供給されるまでには15〜20年余りかかり、その後、全国でも都市ガスとして使われるようになりました。
今、カーボンニュートラルを目指す日本では、化石燃料の代わりにCO2を出さない脱炭素燃料を社会に普及させる動きになっています。再エネはその一つで、太陽光発電は昼間、屋根の上で発電した電気を使い、余ったら売電することができますし、今後増やしていきたい風力発電は、都市部ではできませんが北海道や東北の日本海側、九州も適地の一つです。他にもバイオマス発電は、植物がCO2を吸って光合成で成長し、これを燃やして大気中に放出しても全体としてCO2が増えるわけではないのでカーボンニュートラルに有効です。
日本のCO2排出量は毎年10〜11億トンです。その中で、最も排出しているのが電力です。再エネと原子力は基本的にCO2を排出しませんが、電力供給の調整のために火力発電をなくすわけにはいかないので、化石燃料を使わずCO2を出さない燃料に変える、つまり水素発電に変えればいいという考え方になります。2番目にCO2排出量が多いのが産業部門です。その代表は製鉄所で、鉄鉱石と石炭を混ぜて溶かして鉄を作っているため、産業部門の排出量の半分弱を占めています。だからといって製鉄を止めるわけにはいきません。非常に良質の鉄鋼材料が国内で入手できることも、日本で最も稼いでいる車産業が国際競争力を保っている理由の一つとも言えます。もし仮に製鉄所を燃料費が安い海外に移転したら、日本の産業は空洞化してしまいます。3番目にCO2排出量が多い運輸部門では、近年の物流の増大により、トラックなどの輸送で大量に排出されています。産業、運輸部門では、化石燃料から水素などに転換することでCO2の削減が期待できます。
さまざまな技術をカーボンニュートラルに向けて導入しようとしていますが、社会全体を脱炭素化するために政府は2つの方向性を掲げ、その一つが電化です。また電気をつくるところでCO2を出さないようにする、つまり炭素を含まない化学物質を燃料や原料に使うのが水素化という方向性です。水素は、国内の再エネの昼間の余剰電気を活用し水の電気分解から作ることができます。また世界では再エネ価格が安くなっている国があり、その電気は送電線では持ってこれませんが、水素に転換し船に積んで地球の裏側から持ってきたり、もしくは水素をさらにアンモニアに転換して運んでくることができます。水素とは、電気と最も関係が深いエネルギー物質なのです。さらに、CO2を回収して地中深くに埋めるCCSという方法がありますが、CO2を炭素源として使い、水素と反応させて合成燃料を作るCCUでも活用できます。このように、我が国の「革新的環境イノベーション戦略」で、水素は脱炭素社会の電力+燃料+原料を賄う重要な化学的エネルギー媒体に位置付けられています。
日本がこれまで長年にわたり取り組んできた水素プロジェクトですが、世界でもヨーロッパ、中国、韓国、オーストラリア、インドなどにおいて注目されています。ただし課題は、電気はすでに電力網ができているからいいですが、水素には供給網がないためサプライチェーンが必要です。そして日本全国を繋げるよりも、例えば工業地帯などCO2をたくさん排出しているところだけ、パイプラインを通すようにするなどの取り組みが始まりつつあります。
これまでエネルギーは、化石燃料、再エネなど一次エネルギーの資源を使い、主に電気に変えるプロセスを経てネットワークで日本の隅々まで行き渡ってきました。しかし例えば電気の場合、使用量と発電量を同時同量にしないと、バランスが崩れて停電が起きてしまうのに、長期に貯められないという難点があります。それに対して、一次エネルギーを変換・加工して作られる二次エネルギーとして水素を使えば、電気なら蓄電池、熱なら蓄熱のように長期の貯蔵も可能になり、私たちの生活でより使いやすくなります。
これまでガソリンエンジンや蒸気タービンのような「熱エネルギー変換」(燃焼)で大量のエネルギーを扱ってきましたが、水素を介して燃やさずに発電する「電気化学エネルギー変換」の燃料電池では、高効率で発電することができ、特に純水素を直接使う場合、使用後に出るのは水だけです。具体例としては燃料電池車や自宅で電気とお湯を同時に作れる家庭用燃料電池システムが挙げられます。では水素からどのように発電できるのか --- 水に電気をかけ電気分解すると水素と酸素に分かれるのは学校の理科の実験などでご存知だと思いますが、その逆で、水素と酸素を化学反応させると電気が出てくるという仕組みです。燃料となる水素は、天然ガスやメタノールを改質して作るのが現在は一般的ですが、再エネが豊富な地域では余剰電気を利用して水素を作ることができるようになります。水素は宇宙に最も多く存在する元素です。水素を利用しCO2を出さない発電システムが燃料電池です。燃料電池車は水素を入れればすぐに作動します。
ただし課題として、現在の水素価格は高く、また水素技術を応用した燃料電池車も高額で、水素ステーション設備の設置が進まないため、2014年に発売されてから燃料電池車の台数はそれほど増加していません。現在は車関連の企業が中心になって需要創出の努力を進めています。しかし、投資したコストの負担回収に対しては、政府による支援策が必要です。そのために企業の背中を押すような「水素社会推進法」という法律が昨年施行されました。2050年のカーボンニュートラル目標までに、例えば、火力発電の燃料を天然ガス→水素、石炭→アンモニアへ転換する支援を進め、2030年代からCO2の排出を減らした火力発電所などの商用運転が開始される予定です。
水素は、多様な利用が可能ですが、最も導入しやすいのが自動車やトラック、バスなどです。福岡で行われたモビリティショー(2023)で発表されていたのは、水素を使った水素パッカー車(燃料電池車)や救急車でした。水素パッカー車は、ごみ収集が夜間に行われている福岡の街では、従来の車両より騒音が少ないため夜間収集に適しており、また救急車の場合は静かなので搬送されている患者の診断を医師が静かな車内で行えます。また今年のジャパン・モビリティ・ショーでは、日本のみならず世界中の燃料電池車が展示され、燃料電池と液体水素タンクを組み合わせた水素トラックの航続距離は1,200kmまで伸びそうです。政府は水素社会実現に向け、水素商用車の需要が大きい自治体が意欲的な活動を進める重点地域として、福島県、東京都、神奈川県、愛知県、兵庫県、福岡県の6都県を今年5月に選定しました。
九州電力管内の資料を参考にすると、電源構成の4割弱が原子力で、再エネが約2割、しかしまだ4割弱の火力が残っています。今後、天然ガス火力に水素、石炭火力にアンモニアを混合して燃焼させれば、火力発電でもCO2を削減することができます。原子力+再エネ+水素の活用を推し進め、なおかつ、余る再エネ発電電力で水素を作れば国産の燃料や原料になります。このように水素はカーボンニュートラルに向けた重要な戦略物質になっています。
九州大学では、水素を作るところから使うところまで、トータルで研究開発を行うチームを作っています。伊都キャンパスは、敷地面積が東京ドーム約60個分あり、ここで生産される水素を使う燃料電池車が公用車として使用され、また最寄り駅まで燃料電池バスが運行されています。燃料電池の研究開発を進める次世代燃料電池産学連携研究センターや、水素を運搬・貯蔵するための素材について研究する水素材料先端科学研究センターなどがあり、民間企業にも研究スペースを提供し、共同研究や技術協力を進める産学連携に力を入れ、多様な水素技術が社会に実装されていくことを目指しています。
水素とは、日本の社会全体をカーボンニュートラル化し、化石燃料輸入による海外への依存を減らし、貿易赤字も削減し、エネルギーの安全保障に貢献するとともに、日本の競争力を高めることができる重要なエネルギーです。今すぐに実用化されなくても、長期に渡り着実に研究・開発を進めることで、エネルギーの転換による社会の変化を促進していけると考えています。
Q:現在、水素を作るために再エネの電力を使っている割合はどのくらいなのか。その割合が100%になるのはいつ頃なのか。
A:今は化石燃料から作った方が安価なため、再エネで作った水素はわずかです。ただ政府は、1kgの水素製造時のCO2排出量が3.4kg以下のクリーン水素について支援することを決めたので、今後、数十年の長いスパンで、再エネを含めたCO2排出量の少ない電源から作られる水素の割合が着実に増えていくことになるだろう。
Q:電気自動車と比較して燃料電池車のメリットは何か。また塔のように巨大な水素ステーションを見たことがあるが、これはいずれ小さくなるのか。
A:電気自動車は一般的に充電時間が長いことが課題の一つになっている。それに対して燃料電池車は水素を注入するだけなので、乗用車だと3分程度、トラックでも10~20分程度で済む。二つ目は、電気自動車のトラックには重いリチウムイオン電池を多く搭載しなければならず、長距離はなかなか走れないが、軽い水素を搭載して走る水素燃料電池トラックなら長距離走行が可能になる。また水素ステーションに設置することができる液化水素タンクは、水素の液化で体積が1/800になるため、すでに相当量の水素が蓄えられ、車、トラックやバスにも十分対応できるようになっている。
九州大学副学長・主幹教授
1965年、京都生まれ。87年、東京工業大学工学部無機材料工学科卒業。89年、東京工業大学大学院理工学研究科原子核工学専攻修士課程修了。93年、スイス連邦工科大学チューリッヒ校大学院材料科学専攻博士後期課程修了、スイス連邦工科大学チューリッヒ校博士研究員。95年、ドイツ・マックスプランク固体研究所招聘客員研究員。99年、九州大学大学院総合理工学研究科・助教授。2005年、九州大学大学院工学研究院・教授。06年、九州大学水素利用技術研究センター・センター長。06年、独立行政法人産業技術総合研究所水素材料先端科学研究センター副研究センター長(~10年3月まで)。09年、九州大学水素エネルギー国際研究センター ・センター長。10年、九州大学カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所副所長(~12年11月まで)。九州大学カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所主任研究者(~23年3月)。11年、九州大学主幹教授。12 年、九州大学次世代燃料電池産学連携研究センター・センター長。16年、副学長。